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今、この瞬間

広島に単身赴任中。仕事のついでに行った名所、名物やラーメン、映画、韓ドラなどを備忘録的に綴っています。
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札幌年越し

札幌で年越しする。

30日昼に札幌駅に到着。



雪一色かと思えば、そうでもない。

道路には雪はほとんどない。

近くの時計台には、観光客がそれなりに。外国人が多い。



聞くところでは、ススキノ、狸小路で羽振りがいいのは、中国、台湾の中華勢だそう。

ニセコでスキー学校をやっている某君によると、近頃の受講生はやはり中華系ばかりという。

札幌で一杯やるとなると、ススキノだが、いい店はススキノより駅前に増えているとも聞いた。

この日の店は駅前だったが、なかなか素材にこだわって、刺身がうまかった。ツブ貝、ホッキ貝がとくに良い。

店を紹介してくれた地元の食通によると、猿払から取り寄せているホタテは、最高ランクという。

また来ましょう。

札幌に来れば寄る近くのラーメン店には行列ができていた。いつの間に……



塩ラーメンを食べる。

それなりにいいのだが、やはりあっさりしている。

しょうゆにすべきだったか。
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吉川元春の墓

島根県の邑南町に行く途中で吉川元春の墓の案内板を見つけたので、帰りに寄ってみた。

吉川元春は毛利元就の次男で、弟の小早川隆景ほど有名でないが、勇将だったという。秀吉嫌いだったとも言われる。


元春の墓がある大朝は島根の県境で隣は邑南町。島根からみれば、山の奥だが、広島からみれば一番近い島根の町。浜田まで行く浜田道が通っている。

広島市から松江までは3時間かかるが、浜田までは2時間。浜田がある石見地区は昔から広島と行き来が多く、言葉もほぼ同じ広島弁。

圧倒的にカープファンだという。

同じ島根県でも松江、出雲の出雲地方は巨人フアンが多く(テレビの影響)、阪神ファンも少なくない。

ちなみに、岡山、鳥取は阪神ファンが多数派。広島県でも備後の福山あたりになると、阪神ファンが多い。

カープファンの分布は広島(安芸)+石見が中心になる。


さらにいうと、石見の人たちは出雲大社に格別の愛着はないのだそう。

県外の人間からすれば、出雲も石見も同じ島根だが、地元の人にとっては別物。

石見の女性から、県外の人から「出雲大社が近くていいですね」と言われて、返答に困ったという話を聞いたことがある。

森鷗外は津和野の人だが、「石見の人、森林太郎として死ぬ」と遺言した。

さて、こちらが吉川元春の墓。玉垣で囲んであり、なかなか立派。さすが著名人だ。





右の石塔が元春、左は息子の元長のものだそう。

元長の弟が広家。関ヶ原の戦いでは黒田長政と密約し、領地安堵を条件に毛利が戦わないようにしたという。

しかし、毛利藩が長門、周防に減封になったことで、吉川家は藩内で微妙な立場だったようだ。

錦帯橋で有名な岩国に移り、明治維新を迎えている。




村上水軍は化けるか

村上水軍博物館は愛媛県の大三島にある。

村上水軍は能島、来島、因島の3つの系統から成り、能島村上氏が総帥的な立場にある。

能島村上氏は大三島の北部にある能島を本拠とした。

交通アクセスが不便なので、しまなみ海道が走る大三島に博物館が建ったのだろう。



最盛期の棟梁だった村上武吉の像が入り口前で出迎えてくれる。


隣に本屋大賞を受賞した「村上海賊の娘」の碑が建つ。



武吉の娘という景を描いたもの。

この小説は明らかに映画化を意識して作られている。

話題作だし、映画化が実現すれば、当たるだろう。

主役の景は、ズバリ北川景子が起用されるのではないか。


村上水軍の家紋が入った陣羽織。



ボチボチ観光バスが立ち寄る場所になっているが、映画化されれば、化けるかもしれない。

尾道から1時間もかからない。今治からだともっと近い。



竹原マッサンの旅と時をかける少女

マッサンの故郷、広島県竹原市は広島市から1時間半ほどの瀬戸内海に面する町。

距離以上に遠い。今回初めて行った。

電車より高速バスが便利。


かつては塩田と廻船業で栄えたそうだが、今は往年の面影はなく、ややさびれた雰囲気が町全体を覆っている。

廻船業は尾道、福山も共通。江戸時代には朝鮮通信使の本陣もあったそうで、その頃を保存していれば、そこそこの観光地として残ったかも。現に福山・鞆の浦は繁盛している。


竹原も、NHKテレビドラマのマッサンこと竹鶴政孝効果で、そこそこの観光客が古い町並みを訪れている。

竹鶴政孝は近代日本の立志伝中の人だが、ドラマや映画はほぼ手付かずの素材。埋もれていたんですね。


竹原は名作「時をかける少女」のロケ地でもある。

お寺に続く有名な階段。原田知世が上った。坊主は笠智衆だったような気がする。



映画のスタートを切る寺の建物の瓦が落ちるシーンも竹原。

しかし、あらかじめの知識がなく、通り過ごしてしまった。


洋風の建物は郷土博物館になっていて、マッサン特集をしていた。



のちに、イギリスの副首相が来日したときに、こう語ったという。

「日本からやってきたクレバーな青年が、万年筆1本でイギリスの大事な産業機密を持ち去った」

スコッチウイスキーの醸造方法を書き写した政孝ノートがこちら。




リタ夫人は生涯に2回、故郷のスコットランドに里帰りしたということを初めて知った。

余市でのウイスキー生産のため、リタ夫人が移るのは昭和15年。

それから21年後の昭和36年に亡くなった。64歳。

亡くなる2年前、リタ夫人の妹が来日し、30年ぶりに再会した。

マッサンとの結婚をえらび、日本には行く決意をしたリタ夫人を家族の中で唯一応援した人だそう。





ここに、いびりピン子がいたんですね。

隠岐の島と後醍醐天皇

隠岐の島といえば、後鳥羽上皇や後醍醐天皇の配流地。しかし、その御在所は未だはっきりしないのだという。

隠岐は一つの島と思っている人が多いだろうが、丸い形の島後と、群島からなる島前の二つで出来ている。船なら1時間半ほどかかる距離。

島後の地元の人によると、二つの島は相互の行き来が薄い。松江との交流の方がずっと多いという。

島後の男が島前の女を嫁にもらうことはまずない。

ちなみに、女優の田中美佐子は島前の生まれ。


島後に隠岐国分寺がある。

奈良時代に聖武天皇が命じて建立したというから、相当古い。

(この頃にはすでに日本の領土と認知されていたのね。よかった、よかった!)

国分寺が後醍醐天皇の御在所だったとの言い伝えがある。観光パンフレットにはそう書かれている。





しかし、御在所は島前だという説が強いそう。後鳥羽上皇もしかり。

後醍醐天皇は隠岐から伯耆(鳥取)に脱出したのが史実とされる。しかし、潮の関係で、島前から伯耆に流れ着くことがあっても、島後からはありえないのだと、地元の事情通。


この石碑は近衛文麿の手による。場所を間違えたかもしれない。