道は限りなく踏み続けて人々の血肉となり、心の風景をかたちづくる。幾代にも渡る人々の往来の総体が郷土である。
広島でのウォーキングは、広島城を一周して中央公園を越え、川沿いの道にそって原爆ドームのある平和記念公園に至るコースが定番。
もう何度この道を歩いたか分からない。初めのころは異郷の地だったこの道が、私の心の風景に入りこんだ。
広島護国神社。広島城公園のなかにある。

近くに本丸がある。広島城の本丸は原爆で灰塵と化したが、戦後、今の形に復元された。
広島城公園を一周すると約1.5キロ。やや小ぶり。

夜はお城がライトアップされ、なかなか風情がある。

広島城と道路一本をはさんだ公園が中央公園。ここに、広島県から初めて誕生した総理大臣、加藤友三郎の銅像が立っている。
ちなみに2人目が池田勇人、3人目宮沢喜一。

海軍軍人で日露戦争の時、秋山真之作戦参謀の上司の参謀長だった。のちに次官、海相となり、有名なワシントン軍縮会議の時の全権大使。
この功績が評価されて海軍からは2人目の総理大臣となった。
軍縮に反対する人たちに対し、「国防は軍人の占有物にあらず。民間の工業力や貿易に裏付けされた国富なくして、国防力を高めることはできない」と説得した。
もっと評価されていい人だが、軍人だったせいか、本来ならずっと下の犬養毅や尾崎行雄より忘れ去られた存在になっている。
日本海会戦の時、44歳。秋山真之は38歳。今の時代ならまだ課長、係長の年代で国の存亡をかけた戦いをしているから、びっくり。
中央公園を抜けて太田川の支流に沿った土手道を歩き、平和記念公園へ、ちょうど原爆ドームの入り口あたりに出る。
雑草を刈り取ったばかりで、気持ちが良い。

原爆ドームは現在修繕中。すっぽりと足場に覆われて、珍しい光景です。

原爆で亡くなった人たちの名簿を納めた原爆慰霊碑。30万人近い名簿があるという。

ここで、毎年8月6日に首相も参加しての式典が行われる。
ここから自宅に戻ると、だいたい7キロぐらいの距離になる。