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今、この瞬間

広島に単身赴任中。仕事のついでに行った名所、名物やラーメン、映画、韓ドラなどを備忘録的に綴っています。
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スーパーの袋詰め

広島市内のドンキーホーテに初めて行ってまごついたのは、レジで店員が「袋詰めをお願いします」と言ってきたことだ。

その場はよく聞き取れなかったのだが、後ろの人を観察すると、購入した商品の袋入れを自分でしてくれということ。

んっ? 広島は袋詰めをレジ係がしてくれるのがスタンダードなのか?

ドンキーでは、人が混んでない時や購入品が少ない場合、レジの人がその場で確かに入れてくれる。

これは広島の習慣ではなく、ドンキーだけの習慣なのか?


私の家から一番近いスーパーは老舗百貨店の福屋が経営するやや高級の店。

ここは必ず袋詰めしてくれる。

それどころか、レジの係が「茶色ですか、透明ですか」と聞いてくるのには、戸惑った。

つまり、透明の袋と茶色の袋のどちらを希望ですかという問いなのだが、

そんなことはどうでもいいではないか、なんでどうでもいいことを聞くのか、そんな感じ。

レジ打ち担当と袋詰め担当の二人がセットでいるのも驚きです。

いまでは、聞かれるたびに、透明でとか、茶色でとか、普通に言えるようになったが、ちょっと不思議な感覚である。

ちなみに、袋詰めの際は、しっかりテープで袋を止めてくれる。

デパートの三越の食品売り場も袋詰めしてくれる。ほかのスーパーも混んでいない時はしてくれることが多い。

イオンはさすがにしない。















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水攻め弁当

岡山駅で見つけた弁当。

その名も「官兵衛の水攻め弁当」。

典型的な便乗商品なのだが、名前が名前で買ってみたくなる。



真ん中に黒田官兵衛が好物だったという鯛めしを配置。出汁をかけて、水攻め仕立てで食べるのだそう。

水をせき止めるの使った土嚢に凝らした茶飯や、秀吉が好んだゴボウなどが入っている。


さて、NHKの「軍師 官兵衛」はなかなかの本格時代劇。土牢の幽閉から解放された官兵衛は、凄みを増した。

これから備中高松城での水攻め、本能寺の変、中国大返し、山崎の合戦、賤ヶ岳の戦いと、天下獲りに走る秀吉を頭脳で支える官兵衛の見所が満載。

地味なイメージがあった官兵衛だが、波乱万丈の人生を送った人だったのね。のちに朝鮮にも渡って戦をやっている。


水攻めを受けて自害する清水宗治の供養塔が、高松城跡地に建っている。

宗治は船の上でひとしきり舞ったのち腹を切り、介錯人が首を落としたという。

それが秀吉をいたく感動させ、これよりのち、武士の名誉ある死として切腹が定着していったとされる。


宗治の子供は秀吉から大名に取り立てると勧誘されたが断り、毛利家の家臣の道を選んだ。

毛利家では重臣として処遇され、明治維新後、男爵が授けられた。



宗治の潔い死は、子孫繁栄の礎になったのだから、価値ある自害ということになる。

もし、死を選んでいなければ、歴史に名前を残すこともなかったであろう。








屋島~源平古戦場を望む

源平合戦の舞台となった屋島は高松市内にある。

源義経が少数精鋭部隊を引き連れて平家軍を強襲した。那須与一が扇子を射る話や義経の弓流れが有名。

その屋島の山頂から、古戦場をのぞむ。



弓流れの故事は、海上戦で弓を海に落としてしまった義経が、敵が迫っているのに、危険を顧みず弓を取ろうとした。なぜ、そんな危ないことをしたのかと周囲に問われて、義経はこう言ったという。

2、3人引きの大きな弓なら、そのまま打ち捨てたが、私の弓は小さい。敵陣に渡ったら、源氏の大将はこんな小さな弓を使っていると嘲られ、しいては味方が動揺する。

その模様を描いた絵図がこちら。

義経は左、右の武者たちが平家。




屋島の山頂に屋島寺があり、空海にゆかりがある。

建てて1200年の古いお寺。四国巡礼地の一つ。



こちらに、源平の兵士が血のついた刀を洗って真っ赤になったという池がある。血の池という。

トノサマガエルが牛のような声で鳴いていた。



「夏草やつわものどもが夢のあと」の芭蕉句碑が建っている。

平泉だけではなかったのね。




一鶴、栗林公園

鶏の半身を味付けして焼いたオリジナルメニューを出す一鶴。

いつも行列ができている。

東京では珍しくない光景だが、高松ではそんなにない。



見た目ただの半身だが、これだけ人を魅了する理由はなんであろうか(つい、食いが先行して写真取り忘れ)。

独特の味付け、カラカラの皮、滴り落ちる油のうまさか。

親鶏1000円、雛鶏900円。地元の通は雛鶏を食べる。


栗林公園は広大な日本式庭園。この地を納めた藩主が江戸時代に何代もかけて整備してきた。

高松に来たら一度は見なければならない場所だという。

しかし、時間がなくて、中には入らなかった。

入場料410円。



高松港近くにありホテル20階のバーから見た夜景。



決して安くないホテルのバーに結構なお客さんの数。





ザックJAPAN完敗

コロンビア戦は途中までミラクルを起こすかと期待させたが、終わって見れば大差で負け。しかし、点差ほどの実力差はない。

グループリーグ敗退は実力通りの結果であろうが、世界との差は確実に縮まっていると感じる。悲観する必要はない。紙一重までは来てないが。

バスサッカーのスペインが不調だったように、ボールを回して点を取るサッカーは、時代遅れになった。

カウンター、あるいはスルーバス一発、またはバイタルエリアでの個人技でゴールをこじ開ける。しっかり守って、一瞬攻める、そんなサッカーの優位性がはっきりした大会である。

日本の消極的なパス回しが批判を受けたが(バイタルエリアやペナルティエリアに入ってこないパスは何ら脅威ではない。ゴールを狙わないからプレッシャーにならないなど)、コロンビア戦の前半は縦パスを多用し、ゴールを狙う意図が明白だった。

結果は大差負けだが、これは勝負のあやというもので、三試合の中では一番シャープで、可能性を感じさせる内容だった。










唐戸市場で物色

唐戸市場は下関の台所。

唐(中国)への会場ルートだったことから、この名前がついたという。



フグが迎えてくれる。

ちなみに下関の人はフク(福)といい、年中食べられるそうだ。

早朝訪ねたが、剣先イカをはじめ、色々な魚種が水揚げ。仕事がなければ、イカを買って帰りたいぐらい。



代わりに、市場食堂で朝ごはんをいただく。

カレイの煮付け定食800円。剣先イカの刺身600円も注文。





ちょっと値が張りましたが、美味しくいただきました。

下関を歩く

下関市の功山寺は長府毛利氏の菩提寺。

長府毛利氏は、関ヶ原の戦いで戦闘に参加せず、「宰相殿の空弁当」で知られる毛利秀元が起こした別家。

こちらに、鎌倉時代に作られたという国宝の千手観音像がある(今回は見ず)。

幕末には都落ちした三条実美らの七卿が一時住んだ寺でもある。

しかし、なんといっても、この寺を有名にしたのは高杉晋作だ。

江戸幕府瓦解のきっかjけをつくった奇兵隊を旗揚げした場所なのである。

境内に馬にまたがった高杉晋作の像が建っている。



この人は明治維新を待たずに病死したが、

生きていれば桂小五郎とともに長州閥の巨頭になっただろう。

奇兵隊時代の部下が山県有朋。

山県よりは一回り人間が大きかったので、人心は晋作に集まったはずだ。

伊藤博文もこの人の下で働いた。

大変な勉強家で政治の才があったので、晋作が生きていたとしても頭角を現しただろう。


有名な料亭の春帆楼の別棟に日清講和条約記念館がある。

李鴻章と講和条件の交渉をしたのが伊藤博文。その時の会議の部屋が保存されている。

左の椅子に博文が座り、右隣が外相の陸奥宗光だった。

椅子の大きさに、立場の違いが端的に表れている。今では考えられないが。

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博文は「長州ファイブ」の一人として英国に留学したが、四国艦隊砲撃事件が勃発して急きょ帰国した。

長州藩による攘夷の決行である

皮肉にもこの体験によって、欧米の武力のすごさを知り、長州藩は洋式武器の輸入に突っ走るのである。


その時の大砲のレプリカがこちら。


大砲は壇ノ浦の方向を向いている。

きしくも、平家が源氏に敗れ、安徳天皇が入水したのが壇ノ浦。

下関は源平合戦と幕末が併存する歴史の場所である。

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