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今、この瞬間

広島に単身赴任中。仕事のついでに行った名所、名物やラーメン、映画、韓ドラなどを備忘録的に綴っています。
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ワタリガニ、そして牛丼

ワタリガニを無性に食べたくなって、安佐南区の元気市という直売所に自転車で行った。

土砂災害があった八木地区の少し手前である。

今話題の「マッサン」の舞台である竹原や尾道あたりもワタリガニの産地という。観光ついでに出かけみようかとも思ったが、秋の職場旅行のコースに入っている。

わざわざ行く必要もあるまいと思いかえし、元気市へ。

ここには魚介売り場があり、以前ワタリガニを売っているのを見たことがある。

午前11時ごろに着いたのだが、混み具合のすごいこと。6台あるレジ台にそれぞれ10人ぐらい並んでいる。

野菜と果物を少々買い、お目当てのワタリガニを探すと、活ガニがいる。しかし、いい値段。

しばし逡巡したが、結局買わないことにした。


自転車をこいでの帰り道、吉野家で昼食。

行きの途中で店があることに気づき、帰りに寄っていこうと決めていた。

広島にはすき家は多いが、吉野家は少ない。しかし、牛丼といえば吉野家でしょっ。

ここで出会ったのは幸運。

出てきた牛丼を見て、ちょっとびっくりした。

牛肉の盛りが多い。今まで行った吉野家の中で一番多いと思えるぐらい充実した牛丼。

(写真を撮らなかったのが残念)

隣に人をみると、やはり多い。

肉の盛りが少なくて腹の立つことがある牛丼だが、いい店に当たったというべきだろう。

これからも8キロの道を自転車でこいで、300円の牛丼を食べにいきますか。









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後志の消滅可能性市町村

市町村の人口減少が関心を呼んでいる。

日本は本格的な人口減少時代を迎え、必然的に地方の人口が減る。

しかし、考えてみれば、地方のとくに過疎地と言われる地域の人口はこの50年常に減り続けてきた。

この間なくなったのは役場であって(市町村合併で)、地域がなくなったということはない(厳密にいえば、開拓地や小規模集落の中にはなくなったところもある)。

試しに北海道の後志地方の人口の移り変わりをみてみよう。

後志地方全体では昭和30年に39万人いたが、60年後の平成25年には22万人になった。減少率44%。

以下、市町村の推移(年代がないのは1967年)

小樽 20万6000人→12万7000人(減少率39%)
島牧 4600人→1700人(63%)
寿都 8700人→3300人(62%)
倶知安 1万9000人(昭和40年)→1万5000人(21%)
蘭越 1万2000人→5200人(43%)
岩内 2万8000人→1万4000人(50%)
余市 2万7000人→2万人(26%)
ニセコ 7100人→4700人(34%)
真狩 4600人→2100人(52%)
喜茂別 7400人→2400人(68%)
京極 6400人→3300人(49%)
積丹町 7300人→2400人(67%)
神恵内村 3200人→1000人(69%)
泊村 8900人(1960年)→1800人(80%)
共和町 1万4000人(1955年)→6400人(54%)

総じて、日本海側の町村の方が内陸部より人口減少が著しい。

比較的健闘しているのが倶知安やニセコ。余市も小樽より減少率が低い。

原発のある泊村は急激な人口減少ぶりだが、原発が立地された昭和60年代以降の減少率はかなり緩やか。


この調子で行くと、50年後には確実に人の頭数は減っているが、ゼロではない。つまり、消滅しない。


人口の増えた減ったで、そのまちの豊かさを測るのは間違えている。

50年前に比べれば、交通手段も医療も食生活も改善され、役場の応対も丁寧になった。

外国旅行にも行き、当時はなかったインターネットの利便性を手に入れた。

ずっと住みやすく、豊かになったのである。


とはいえ、子供の数が減り、年寄りが増えて、活気がないような感じがする。コミュニティに力がない。

しかし、それが悲観的な未来を映し出しているとは思わない。

人のちからによって、いかようにでもなるような気がする。

人口減少社会を悲観する必要はないし、移民を入れよと騒ぐ必要もなかろう。

身丈に合った生き方をしていけばよい。













柘榴坂の仇討を観る

「柘榴坂の仇討」を公開初日の初上映で観た。



客席は結構空いている。やはり年配の人が多い。

映画館は昔は若者が通ったが、今は年寄りの娯楽である。


監督は「沈まぬ太陽」の若松節朗。趣のある映像で、山田洋次の時代劇に負けていない。

冒頭、桜田門外ノ変で暗殺される井伊直弼が出てくる。俳優は中村吉右衛門。

直弼は老練な政治家のイメージがあるが、44歳で死んでいる。存外若い。

安政の大獄で人気のある吉田松陰や橋本左内を処刑したので、日本人には人気がない。

しかし、歴史は直弼が進めた開国路線を明治政府も踏襲する。誤った政策選択をした人ではない。

政敵だった徳川慶喜は直弼を「決断力があった」と評している。

吉田松陰も直弼が彦根藩で行った政治改革を褒めた。

歴史の評価をもう少し上げてもいい人物かもしれない。


さて、直弼が暗殺されたときに、近習として警護にあたった志村金吾が主人公。

中井貴一が演じている。

一人生き残った金吾は、彦根藩から暗殺を実行した水戸脱藩浪士の仇討ちを命じられる。

しかし、見つからない。生活は窮迫し、生き恥をさらしているような状態になる。

明治維新で回天し、徳川幕府も彦根藩はこの世から消えた。

にもかかわらず、金吾は二本差しの武士の姿を変えず、捜索をやめない。


金吾の妻のせつを演じた広末涼子が一皮むけた感じ。

語りが少なく、表情だけで演技し、以前の甘ったるさがない。

風雪に耐えてきた夫婦が手をつないで帰っていくラストシーンが感動的。


なかなかよろしいのではないでしょうか。




御手洗町と菅原道真

たまたま瀬戸内海の島々をめぐる機会があった。



戦艦大和のふるさと、呉から下蒲刈島ー上蒲刈島ー豊島ー大崎下島まで。

橋でつながり、終点が下島になる。隣に大崎上島という大きな島があるが、橋でつながっていない。

古い町並みで知られる御手洗町は大崎下島の東端にある。


かねてから行きたいと思っていたのが、図らずも実現。




御手洗町には、菅原道真が太宰府に向かう途中で立ち寄り、井戸水を飲んだことに由来する天満神社が建つ。



井戸水は社の裏手にあった。バケツを落とすと、まだ水が底に溜まっていた。



道真の有名な和歌(といっても知らなかったのだが)の碑。


我たのむ 人をむなしくなすならば 天か下にて 名をやなかさん



私が頼みとする人を蔑ろにするようなことがあれば、私は世に名をなして、その者に報復してやろうという意味だという。

頼みとした人とは、道真を重用した宇多天皇と言われている。

港町には珍しく、昔の町並みが残っている。



幕末には坂本龍馬も出入りし、歴史の町でもある。

東征する薩長に安芸藩が協力するが、その際に結んだ御手洗条約の舞台となった家が残っている。


「寿都五十話」が快挙

北海道寿都町の埋れた歴史を掘り起こした「寿都五十話~ニシン・鉄道・鉱山そして人々の記憶」が、第17回日本自費出版大賞の地域文化部門賞を受賞した。



これは快挙。めでたいことです。

著者の山本竜也さんは元寿都測候所の職員。寿都町役場の郷土史や統計、昔の新聞、年配者の証言、実地調査を駆使して、かつてニシンに沸いた寿都の歴史を現代に蘇らせた。

郷土史というと、年配の人を連想するが、まだ40歳代と若い。いまは函館在住。

この本は自身のホームページ「南後志をたずねて」を元にしており、本が手に入らない人は、こちらで内容が読める。

受賞の詳しい情報はこちら。

http://homepage3.nifty.com/minami-siribesi/contents/osirase.htm

無名の町のかつての賑わいを描いた労作が陽の目を見て、まことにうれしいの一言です。

秋山好古の墓

道後温泉本館から5分ばかり歩いた墓地に、秋山好古の墓があるというので訪ねてみた。

松山は道後温泉と坊ちゃんと正岡子規以下の俳句に加えて、秋山兄弟が地域資源の代表格である。

秋山好古は陸軍を退役したのち故郷の松山に帰り、中学の校長を務め、この地で亡くなった。

といっても分からない人には分からない。

NHKドラマの「坂の上の雲」で阿部寛が演じた人物。「一国の独立は一身の独立から」を口癖とし、後に松たか子演じる旧旗本の娘と結婚した。

好古の墓は、日露戦争で当時最強と言われたコサック騎兵隊を破った陸軍大将というより、校長の墓にふさわしく、こじんまりとしている。

ちなみに、コサックがいまのウクライナ。むかし散々ロシアにこき使われた反動で、ロシア嫌いが増え、いま大変な事態になっている。



近くに好古が可愛がったという同郷の白川義則の立派な墓がある。

この人は張作霖爆殺事件の時の陸軍大臣。のちに昭和天皇の命を厳守して第一次上海事変を収拾したが、陸軍中枢には嫌われた。最後は朝鮮人の爆弾テロに遭い、死亡した。

この時、大隈重信も巻き込まれ、片足を失った。

白川の死を昭和天皇が痛く惜しんだという。

テロの犯人は戦後、伊藤博文を暗殺した安重根とともに義士の称号を贈られ、韓国の英雄になった。

墓はひときわ高く立派である。



もう一つ、有名な人の墓があった。



中村草田男。一族の墓とともに立っている。こちらも目立たない。

草田男は知らないが、この句は知っているという人は多いだろう。

降る雪や明治は遠くなりにけり

草田男は80歳超の長命だったが、句は30歳の時、郷里の母校をたずねた時に作ったものだという。


もう一つ、松山にゆかりのある歌。

熟田津に船乗りせんと月待てば潮もかなぬ今こぎいでな

額田王(ぬかたのおおきみ)の作。はるか昔、百済から援軍を頼まれた日本が、船を出立させる時を歌ったという。

熟田津は松山市にある港。


ひとりBBQと和牛

久々にウォーキングをしながら、昼は何を食べようか、カレーのココイチにするか、ちからのラーメンにするかと考えたところで、冷凍庫に入れっぱなしの牛肉があるのを思い出した。

広島県庄原産の最高級の和牛。食べきれなくて冷蔵庫に保管してしばらくたつ。

仕事先で頂戴した。

この連休に食べなければ、いずれダストボックス行きだろうと思い、昼間から焼肉にすることにした。



霜降りの肉は油が多すぎて、焼肉には不向き、と常々思っている。バーベキュー(BBQ)には油の少ない輸入牛肉でちょうどいい。

だが、もらったのは、すき焼きやしゃぶしゃぶ用ではない。

とはいえ、食べないのはもったいない。




フライパンに浮いた油を使ってモヤシを炒める。

近くのスーパーで買ったのだが、1袋54円。ちと高ぎないか。

しかし、食べ終われば、モヤシが一番うまかった。和牛の油が絡んでいい味。

やはり、和牛肉は油が強すぎて、胃に持たれた。

年のせいかも。


もらいものは単身には量が多く大概持て余す。

ひとりで食べ切ったのはシャインマスカットぐらいである。




ワタリガニと徳山

山口県の徳山駅は周辺に古い商店街が残っている。

めったに降りない駅だが、冬はフグが有名で、下関より安くてうまいと、よく聞く。


商店街は狭い路地に昔ながらの八百屋や魚屋といった店が並び、なかなか趣がある。

新幹線に乗るのに時間があったので立ち寄ってみた。

魚屋をのぞくと、ワタリガニが見えたので、値段を聞くと2ハイ1000円だという。

おばちゃんが、「うちのは生きてるカニを茹でたから、味が違う」と言う。

高いカニには目もくれないが、安いカニに目がない私は、迷わず買う。

こんな感じ。



オスで卵が入っていないが、十分身がついている。

みそもある。これで500円なら安い。





この辺りは尾道がワタリガニの産地だそうで、旬は10月ごろ。

地元の人によると、随分安く手に入るという。ぜひ、行ってみたい。

日本海側のカニは鳥取県の松葉ガニが有名だが、1万円をこえるものが多く、手が出ない。

セイコガニも小ぶりのわりには安くない。


徳山のワタリガニもなかなかではないか。

マークしておこう。







錦織選手と大阪

錦織圭は、よく決勝まで上がってきた、一方で逃した獲物は大きいという二つの思いが交錯する。

ショックで気落ちした人が少なくないニッポン。


たまたま大阪に行く機会があったのだが、北新地で飲んだせいか、コテコテの大阪にはお目にかからなかった。

広島に戻ってきて、大阪の東京化が進んでいると周りに言うと、いや、コテコテを見るなら、道頓堀や通天閣に行かなきゃダメだと。北新地は上品で、東京なら銀座なのだという。

どうりで川がきれいだと納得。夜景はなかなか。




それにしても、大阪朝日本社のビルは立派。関係者に聞くと、自社で使う階は少なく、テナントビルとして建てたそう。

社員は決まった机がなく、毎日デスクが変わるフリースタイルなのだとか。

このようなタワービルが大阪で結構立っている。



さて、話は戻って、一杯飲んでホテルの部屋に入り、念のためとテレビを確認したら、WOWOWが映るではないか。

ラッキー!

私は決勝戦、リアルタイムで見ました。

錦織は明らかに硬い。緊張しているのか、ファーストサーブが入らない。相手は生涯ピークという出来栄え。


途中いたたまれず、ホテルの大浴場へ。











まぼろしの城、三原城

三原市もまず来ない。

やや寂しい雰囲気のまちだが、新幹線こだまが止まる。

駅周辺にはかつて三原城があったという。

「軍師官兵衛」に出てくる小早川隆景が築いた名城。

小早川隆景は次のNHKテレビ小説の舞台となる竹原が本拠地かと思っていたが、三原の小早川家も継いでいて、こっちに城を築いたとのこと。

こちらの人。
(大河ドラマは鶴見辰吾が演じている)




天守閣はないものの、城郭の規模は当時、東の小田原城、大阪城に並ぶ巨大な城だったそう。


沼田川の河口一帯と島を結んだ構造で、海側にせり出した本丸は、満ち潮になると厳島神社のように海面が上がり、「浮城」と呼ばれた。

小早川氏は海賊の棟梁だけに、海側からも船で出入りできた。秀吉、家康も実際に訪れ、城の立派さに感服したという。


しかし、この城、今は跡形もなく、わずかに天守台の一角だけが残されている。



本丸は国鉄山陽道の開設にともない、整地されたとある。

戦果で焼けたのでないとしたら、実にもったいないことである。

現存していたら、大変な観光資源になっていたろうに。


尾道ラーメンをたずねて

尾道は有名だが余り行かないところ。今回で2度目の訪問。

志賀直哉がいっとき暮らしたとか、大林宣彦の「時をかける少女」以下の尾道3部作、身近なところでは友人の奥さんの父親が脚本家の高橋玄洋で、ご縁がありそうだが、存外ない。


尾道は回船業で古くから栄えたところで、裕福な旦那衆がたくさんいた。そのせいか、立派な神社仏閣が多い。

京都にありそうな古びた老舗旅館もいくつかある。フジの西山アナウンサーの実家は有名な旅館。


尾道といえば、尾道ラーメン。

この小京都ともいうべき地で、なぜ濃い醤油味に背脂が特徴のラーメンが生まれたのか、不思議。

佐野ラーメンのような、あっさり薄口醤油の方がふさわしいのではなかろうか。



尾道ラーメンの二大巨頭は朱華園とつたふじ。朱華園は夏休み、つたふじには行列ができていて、入店を断念した。

近頃、広島市内でもこの種の行列を見る。みっちゃん本店と汁なし坦々麺の国松だ。

事情通によると、並んでいる人のほとんどがガイドブックをみた観光客だという。多分、つたふじもそうだろう。地元の人で行列を作っているのはラーメンの一風堂ぐらいではないか。

で、すぐ入れた店は焼肉が本業のラーメン店。

こんな尾道ラーメンが出てきた。



私はあんまりうまいと感じなかった。

しかし、この一軒だけで尾道ラーメンを判断するのはやめておこう。

つたふじは福山市にある唯一の支店で一度食べたことがある。

尾道ラーメンっぽくない、あっさりとしたラーメンでうまかったと記憶する。姿形の美しいラーメンである。


太陽を抱く月

「太陽を抱く月」の主人公、ホ・ヨムを演じるのはハン・ガイン だが、子役:キム・ユジョンの方が魅力的である。

今のところ。

ハン・ガインは終盤から圧巻の演技との評価。まだ8回なので、今後が楽しみ。


キム・ユジョンは御年14歳。

トンイをはじめ数々の名作の子役時代を演じ、国民的子役なのだそう。



このドラマ、出てくる王様以下、全くの架空の設定。しかし、下手な史実ドラマより、ずっと面白い。

記憶を取り戻すのがストーリー展開の重要なファクターなので、当然といえば当然なのだが、ユジョンちゃんが折々に蘇って、ファンを楽しませてくれる。

私の中では、「奇皇后」とともに、久々に韓流ブームが来ている。

こちら、ハ・ジウォンのフェイスブックにアップされた動画。

日本語の歌のような‥‥。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=907475845947758&id=723221297706548

ハ・ジウォンは近頃随分スッキリした。