松江で週末まで過ごし、仕事が終わってから、米子の近くにある大山(だいせん)登山に挑戦した。
今を逃せば、一生登る機会がないかもしれないと、松江行きに合わせて山歩きの準備をし、晴れたら登るつもりであった。
大山といえば、志賀直哉の「暗夜行路」。
主人公の時任謙作が、小説の最後に大山登山をして、すべての煩悩を超越する境地に至る。
この小説を高校の時に読んで以来、いつか大山に登ってみたいと思ってきた。
(遠い北国のさらに遠い話)
こんな有名な場面がある。
「謙作はふと、今見ている景色に、自分のいるこの大山がはっきりと影を映していることに気がついた。影の輪郭が中の海から陸へ上って来ると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気づいたが、それは停止することなく、ちょうど地引き網のように手繰られて来た。地を嘗めて過ぎる雲の影にも似ていた。中国一の高山で、輪郭に張切った強い線を持つこの山の影を、そのまま、平地に眺められるのを希有のこととし、それから謙作はある感動を受けた」
日本人がスポーツてしての登山をするのは、それほど昔ではない。
謙作が感動した時代の大山は、一般登山の走りで、夜中に登り、朝ご来光を眺めるのが目的だったという。
謙作が見た大山の影が地上に映る景色は、朝しか見られないものだという。
(参考までにこんなイメージ)

さて、私が登ったのは初心者向けの夏山登山道。
11月の半ばとあって、3合目から雪山の風景に変わった。
雪を踏みながらの登山。

登ってみて知ったが、この山の登山道は大半が階段。
初めはたいしたことないと思ったが、階段の幅が広く、1歩で上がれない。勾配もきつく、体力を使う。
歩きでなく、走って登っているぐらいに、息が切れる。

下のような、膝を90度曲げて登るという箇所がずっと続く。
これがかなりしんどく、体力を消耗する。5歩進んで休むという具合。
同じ階段でも、金比羅さんの石段は話にならず、山形県の羽黒山の石段を5倍きつくした感じ。

頭の中で、もう嫌だとか、きついとか、やめたいとか、そのたぐいの言葉が絶叫する。
静かに思索する、景色を楽しむ、そんな余裕は全くない。下ばっかり見続ける登山である。
早くこの苦行から解放されたい、その一心で登る。
(この夏山登山道は小学生も登るというが、ホント?)
時々、下山する人とすれ違い、会話をしたり、挨拶したりする。
だれかが6合目まで行けば、楽になるよというので、そこまではと我慢したが、
6合目に着いてもますます苦しい。しかも、氷点下ぐらいの気温で風が寒い。けれど、体や顔からは汗が滴り出ている。

あたりはすっかり雪山の雰囲気。
気分転換に下界の景色を撮ってみた。


8合目にきたところでスマホのバッテリーが切れた。

頂上から見下ろす景色を撮ろうと思っていたのに、極めて残念。
8合目を超えてちょっとすると、一歩一歩にゼイゼイ言う階段の道から、普通の散歩道に変わり、急に楽になった。
一気に頂上に向かう。足が軽快になった。
山小屋があり、そちらで登頂者は、コーヒーやらカップラーメンやらを食べている。
私は麓の食堂で作ってもらったおにぎりを取り出す。
受け取った時は暖かかったのに、すっかり冷たくなっていた。
山小屋でも水やカップラーメンなどを売っている。
550mlの水は550円、ポカリスエットも同じ。
コーヒーは1杯300円だった。
まあ、麓から運んでくる苦労を考えれば、こんなものでしょう。
頂上で30分ほど休み、下山する。
階段を下るので、上りよりはるかに楽だが、途中から膝がガクガクしてきた。
上りも下りも厄介な登山だった。
上りに要した時間、2時間半。
下りは1時間だった。
年をとると、運動の2日目ぐらいから筋肉痛が出るが、さすがに下山直後から痛い。
かなり後を引きそうな予感がする。