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今、この瞬間

広島に単身赴任中。仕事のついでに行った名所、名物やラーメン、映画、韓ドラなどを備忘録的に綴っています。
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紙の月を見る

角田光代原作の「紙の月」を観る。

宮沢りえが公金横領の逃亡犯を演じる。

きれいだという感想をいう人もいるが、ふけたなあというのが率直なところ。

NHKがすでにドラマ化しており、その時の主役は原田知世。

原田知世、あるいは年代が下がるが満島ひかりの方がいいという説はありえるかもしれない。


純文学系の小説の映画化は、原作と全く別物になるか、やや筋がわかりずらくなりやすい。

原作は「金でしか実現できない恋愛関係」がテーマと聞く。

これは古典的であり、今日的でもある人間関係の一つである。


映画もそのテーマは消えていないが、宮沢えりがなぜ青年に惹かれ、不倫にはまるのかが今ひとつ描ききれていない。

恋愛していても、ちっとも幸せそうじゃない。

宮沢と若手男優のキャラクターにもよるのだろうが。


映画は宮沢りえ演じる主婦の年少期の寄付にまつわるトラウマを引っ張っている。

「寄付→貢ぐ→与える」に喜びと幸せを感じるたちの宮沢りえが、長じてそのトラウマを乗り越えるかのようでもある。

銀行員の同僚役を大島優子が演じている。

あっけらかーの役で、キャラが合っている。

kami
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隠岐の島と後醍醐天皇

隠岐の島といえば、後鳥羽上皇や後醍醐天皇の配流地。しかし、その御在所は未だはっきりしないのだという。

隠岐は一つの島と思っている人が多いだろうが、丸い形の島後と、群島からなる島前の二つで出来ている。船なら1時間半ほどかかる距離。

島後の地元の人によると、二つの島は相互の行き来が薄い。松江との交流の方がずっと多いという。

島後の男が島前の女を嫁にもらうことはまずない。

ちなみに、女優の田中美佐子は島前の生まれ。


島後に隠岐国分寺がある。

奈良時代に聖武天皇が命じて建立したというから、相当古い。

(この頃にはすでに日本の領土と認知されていたのね。よかった、よかった!)

国分寺が後醍醐天皇の御在所だったとの言い伝えがある。観光パンフレットにはそう書かれている。





しかし、御在所は島前だという説が強いそう。後鳥羽上皇もしかり。

後醍醐天皇は隠岐から伯耆(鳥取)に脱出したのが史実とされる。しかし、潮の関係で、島前から伯耆に流れ着くことがあっても、島後からはありえないのだと、地元の事情通。


この石碑は近衛文麿の手による。場所を間違えたかもしれない。





四万十川と足摺岬をめぐる旅

念願の足摺岬に行ってきた。なぜか、子供のころから行きたかった。

私は岬という場所が好きである。

四万十に出張したついでに足を延ばす。

この機会を逃せば、訪れることはあるまい、と。


四万十川は、下流と上中流では別物かと思えるぐらい違う。

四万十町と四万十市があり、ややこしい。

富良野や湯布院と並ぶローカルのビッグネームだけに、両地域とも譲れぬ一線なのであろう。

ちなみに四万十市は下流、四万十町は上中流。

下流は流域の広い大河である。

ダムがないから、水がたっぷり流れている。

川とは本来、こうあるべきだ。

(「越すに越されぬ」で有名な大井川は水がほとんど流れていない)



この川には橋が似合う。

沈下橋という橋があちこちにあり、ちょっとした観光スポット。

こちらは、下流にかかる大橋。なかなか美しい。

渡良瀬橋がいかに美的センスに欠けるか、よくわかる(歌は名作!)



四万十町は施設園芸が盛んで、ショウガ、ニラの生産量が日本で2番目だそう。

仁井田米というブランド米を作っている。島根にも仁田米という米がある。

似た名前のよしみで産地交流している。ともに中山間地域。


足摺岬までは、ここから車で70分ほど。

足摺半島に入って、最後にS字型の道路を10キロばかり走ると到着する。

海に行くというより山に入っている感覚である。

足摺岬の手前に四国八十八ケ所の一つであるお寺があり、ちょっとした市街地が広がる。

ここに来るまでに、道端のあちこちで、巡礼するお遍路さんの姿を見た。

私は車で登ったが、歩いてS字の坂道を登るのは容易でない。途中、自転車を懸命にこぐ若者とすれ違ったが、きつそうだった。


岬の先端までは徒歩になるが、大した距離ではない。つまり、そんなに突き出してはいない。

私の足摺岬は断崖絶壁のイメージなのだが、実際はそうではなかった。

やや物足りない。

積丹半島の神威岬に劣るかなという印象。灯台はそこそこいいが、茂津多灯台の方が風情がある。





太陽の光が海面に反射して夕方のようだが、まだ昼前。



足摺岬の前には、この人の銅像がドーンと建っていた。

ジョン万次郎。



高知県は偉人の銅像建てるのが好きだなあー。


塩鰹、しじみラーメン

高知の鰹は厚さを競うサムギョプラル化しているのではないかと思うぐらい、厚い。

ポン酢で食べない鰹の塩たたきを置く店が増えている。

臭みがない鮮度と、藁の香りを味わってほしく出す一品らしい。



わたし的にはポン酢で食べる方がうまく感じる。しかし、食べ慣れてくると、これはこれでありか、と。

ごまかしがきかないので、味に自信のある店しか出さない。

鰹の後は、しめのラーメン。

ご存知、しじみラーメン。

麺の硬さがしっかりしていて、この店で今まで食べた中で一番のしじみラーメンでした。



気がつかなかったが、しじみが大きい。そこも人気の秘訣なのだろう。

由志園、高麗人参をめぐる

由志園は中海に浮かぶ大根島にある。
(えっ、大根島って、どこ?)

ちなみに、宍道湖は中海の隣。

由志園は松江市の観光スポットの一つ。牡丹と高麗人参の里が売り。日本庭園には枯山水まである。



大根島が中海にあること自体、こちらに来て初めて知った。農業地帯です。

うかつ!


松江は平成の大合併で周辺の八束郡と合併し、なかなかエリアが広い。

この市は、小泉八雲と松江城と八重垣神社と玉造温泉に特化しすぎているのではないか。







牡丹といえば花札。シャクヤクに似た大ぶりの花。

こちらでは5月連休が一番の見頃で、色とりどりの牡丹の花が池を埋め尽くすそう。観光パンフにも大きくとりあげられている。



昼食を銀閣みたいに趣きのある建物の二階でいただく。



大根島は古くからの高麗人参の産地という。

有名な殿様の松平不昧(ふまい)公が生産奨励したのが始まり(お茶や菓子だけの人ではなかったのね)。

いまでは生産する人が少なくなった。6年ものが最長で、1本5、6千円する。

高麗人参は一度収穫したら、その土では10年以上作物が育たないのだと。毛細血管のような根が、土の中の養分を吸い尽くすからだという。



学びの多い旅でした。

知のご縁あり。


大山登山に消耗する

松江で週末まで過ごし、仕事が終わってから、米子の近くにある大山(だいせん)登山に挑戦した。

今を逃せば、一生登る機会がないかもしれないと、松江行きに合わせて山歩きの準備をし、晴れたら登るつもりであった。

大山といえば、志賀直哉の「暗夜行路」。

主人公の時任謙作が、小説の最後に大山登山をして、すべての煩悩を超越する境地に至る。

この小説を高校の時に読んで以来、いつか大山に登ってみたいと思ってきた。
(遠い北国のさらに遠い話)

こんな有名な場面がある。

「謙作はふと、今見ている景色に、自分のいるこの大山がはっきりと影を映していることに気がついた。影の輪郭が中の海から陸へ上って来ると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気づいたが、それは停止することなく、ちょうど地引き網のように手繰られて来た。地を嘗めて過ぎる雲の影にも似ていた。中国一の高山で、輪郭に張切った強い線を持つこの山の影を、そのまま、平地に眺められるのを希有のこととし、それから謙作はある感動を受けた」


日本人がスポーツてしての登山をするのは、それほど昔ではない。

謙作が感動した時代の大山は、一般登山の走りで、夜中に登り、朝ご来光を眺めるのが目的だったという。

謙作が見た大山の影が地上に映る景色は、朝しか見られないものだという。

(参考までにこんなイメージ)
大山


さて、私が登ったのは初心者向けの夏山登山道。

11月の半ばとあって、3合目から雪山の風景に変わった。

雪を踏みながらの登山。



登ってみて知ったが、この山の登山道は大半が階段。

初めはたいしたことないと思ったが、階段の幅が広く、1歩で上がれない。勾配もきつく、体力を使う。

歩きでなく、走って登っているぐらいに、息が切れる。



下のような、膝を90度曲げて登るという箇所がずっと続く。

これがかなりしんどく、体力を消耗する。5歩進んで休むという具合。

同じ階段でも、金比羅さんの石段は話にならず、山形県の羽黒山の石段を5倍きつくした感じ。



頭の中で、もう嫌だとか、きついとか、やめたいとか、そのたぐいの言葉が絶叫する。

静かに思索する、景色を楽しむ、そんな余裕は全くない。下ばっかり見続ける登山である。

早くこの苦行から解放されたい、その一心で登る。

(この夏山登山道は小学生も登るというが、ホント?)


時々、下山する人とすれ違い、会話をしたり、挨拶したりする。

だれかが6合目まで行けば、楽になるよというので、そこまではと我慢したが、

6合目に着いてもますます苦しい。しかも、氷点下ぐらいの気温で風が寒い。けれど、体や顔からは汗が滴り出ている。



あたりはすっかり雪山の雰囲気。

気分転換に下界の景色を撮ってみた。





8合目にきたところでスマホのバッテリーが切れた。



頂上から見下ろす景色を撮ろうと思っていたのに、極めて残念。


8合目を超えてちょっとすると、一歩一歩にゼイゼイ言う階段の道から、普通の散歩道に変わり、急に楽になった。

一気に頂上に向かう。足が軽快になった。

山小屋があり、そちらで登頂者は、コーヒーやらカップラーメンやらを食べている。

私は麓の食堂で作ってもらったおにぎりを取り出す。

受け取った時は暖かかったのに、すっかり冷たくなっていた。

山小屋でも水やカップラーメンなどを売っている。

550mlの水は550円、ポカリスエットも同じ。

コーヒーは1杯300円だった。

まあ、麓から運んでくる苦労を考えれば、こんなものでしょう。

頂上で30分ほど休み、下山する。

階段を下るので、上りよりはるかに楽だが、途中から膝がガクガクしてきた。

上りも下りも厄介な登山だった。

上りに要した時間、2時間半。

下りは1時間だった。

年をとると、運動の2日目ぐらいから筋肉痛が出るが、さすがに下山直後から痛い。

かなり後を引きそうな予感がする。







松江の道、玉作湯神社

仕事で松江に週末までいる。

合間を縫って名所めぐり。

懐かしの玉造温泉を抜けて、玉作湯温泉へ。



今は閑散としているが、神様の国、島根を代表するパワースポット。

昨年は、鳥居から境内まで、良縁を求める若き女性たちの行列ができたという。


願掛けに流儀があって、この神社では叶い石に託す。

この場所は三種の神器の勾玉(まがたま)を生産したとの伝承があり、それにちなんで、願い事を叶えてくれる願い石がある。



水で叶い石を清め、それから願い石を軽くなで、願い事を3回唱える。

叶い石は社務所に600円で売っている。



そして、願い事を二枚綴りの紙に手書きし、一枚は本殿の願掛け箱の中に、もう一枚はお守り袋にしまい、お参りする。



なかなか、凝った願掛け。

松江は紅葉が終わりかけていたが、境内のなんという木かは知らないが、紅葉が見事だった。



侮れないタール麺

松山出張の締めにラーメンをということで、地元の人が連れて行ってくれたのがタール麺の店。

タール麺といってもピントこないし、私も初耳なのだが、地元では人気店なのだそう。

知らないのはそれもそのはずで、この店のオリジナル。まあ、蒙古タンメンみたいな新ジャンルを開拓したお店のようで。



丼中央の粉はコショウ。

そう、タール麺とは、塩味の五目ラーメンをあんかけにし、大量のコショウを入れたラーメンです。




これがなかなかいける。

コショウの辛味はさほど気にならない。むしろ味が締まってうまい。

この店は夜だけ営業し、ターゲットを締めのラーメン客に絞っているそう。

半分サイズもあり、私はこれをいただきました。



侮れないラーメンです。






太陽を抱く月、奇皇后

NHK総合で放映中の「太陽を抱く月」はもう少しで終了するが、一足先にレンタルで見終わった。

「奇皇后」の方もテレビより先に18話まで見た。

両方に共通するのは、主人公が二人のいい男から求愛されるところ。

このパターンは韓ドラの黄金スタンダードといえる。

名作「バリでの出来事」も「恋人」も「パリの恋人」もこのパターンだった。


「太陽を抱く月」は恋愛模様を縦糸とすれば、権力をめぐる暗闘が横糸。巫女や呪術を新しいツールに使ったところが面白い。

賢明で勇気がある王様の設定は「イサン」がそうだったが、国家リーダーに対する韓国人の願望を表している。

その王が8年越しの愛を実らせる。

高視聴率をとったのは、恋愛を前に出して女性をターゲットにしたのと、国民的人気子役が前半を引っ張ったからだろう。

皇帝がホ・ヨヌに対の簪(かんざし)を渡す場面が泣かせましたなあ。


「奇皇后」でのハ・ジウォンの役どころは、「バリでの出来事」のスジョンとそっくりだ。スニョンと名前まで似ている。

「バリ出来」は財閥の御曹司と雑草青年がぶつかる。「奇皇后」は元の皇帝と高麗の退位させられた王が恋のさやあてを演じる。皇帝の妻が高麗の王に惹かれるのも、「バリ出来」とそっくりの構図だ。

この三角関係、バリ出来がどっちつかずで終わるのに対し、奇皇后は決着がつく。

前半は王様一筋で、おまけに実父が皇帝の裏切りによって殺されたスニョンが、なぜ皇帝を選ぶのか、この辺りが今後の見どころ。

物語の展開は、元と高麗の朝廷の権力闘争を背景とし、スケール感が大きい。ヨンチョル丞相がなかなかの迫力。

史実では、奇皇后は皇帝の三番目の妻であり、皇帝は元王朝最後の順帝になる。

元は朱元璋の明に倒され、高麗も李成桂の李氏朝鮮へと王朝が代わる。

歴史の変わり目がドラマの時代背景になっている。

恋敵の高麗王、ワン・ユー(王裕)は架空の人物ということだが、時代的にみて、反元親明外交を取った恭湣王を模していると思われる(この人の子供が李成桂に譲位して李氏朝鮮が誕生する)。

とすると、ワン・ユーとスニョンはのちに対立するのだろうか。

奇皇后の生んだ子供がのちに順帝のあとを継ぎ、元の復活を目指す。奇皇后の権力は高麗にも及び、奇一族が親元派として権力を握ったという。

これだと、ドラマの前半と全く逆の構図になる。これってあり?

この作品は史実に基づかないとあるので、今後どういう展開になるのだろう。

まだ、3分の1も終わっていない。