島根県の邑南町に行く途中で吉川元春の墓の案内板を見つけたので、帰りに寄ってみた。
吉川元春は毛利元就の次男で、弟の小早川隆景ほど有名でないが、勇将だったという。秀吉嫌いだったとも言われる。
元春の墓がある大朝は島根の県境で隣は邑南町。島根からみれば、山の奥だが、広島からみれば一番近い島根の町。浜田まで行く浜田道が通っている。
広島市から松江までは3時間かかるが、浜田までは2時間。浜田がある石見地区は昔から広島と行き来が多く、言葉もほぼ同じ広島弁。
圧倒的にカープファンだという。
同じ島根県でも松江、出雲の出雲地方は巨人フアンが多く(テレビの影響)、阪神ファンも少なくない。
ちなみに、岡山、鳥取は阪神ファンが多数派。広島県でも備後の福山あたりになると、阪神ファンが多い。
カープファンの分布は広島(安芸)+石見が中心になる。
さらにいうと、石見の人たちは出雲大社に格別の愛着はないのだそう。
県外の人間からすれば、出雲も石見も同じ島根だが、地元の人にとっては別物。
石見の女性から、県外の人から「出雲大社が近くていいですね」と言われて、返答に困ったという話を聞いたことがある。
森鷗外は津和野の人だが、「石見の人、森林太郎として死ぬ」と遺言した。
さて、こちらが吉川元春の墓。玉垣で囲んであり、なかなか立派。さすが著名人だ。


右の石塔が元春、左は息子の元長のものだそう。
元長の弟が広家。関ヶ原の戦いでは黒田長政と密約し、領地安堵を条件に毛利が戦わないようにしたという。
しかし、毛利藩が長門、周防に減封になったことで、吉川家は藩内で微妙な立場だったようだ。
錦帯橋で有名な岩国に移り、明治維新を迎えている。